明治時代から大正時代にかけての我が国の政治に関する記述として最も妥当なのはどれか。
- 自由民権運動が高揚した頃,福沢諭吉は,民撰議院設立の建白書を左院に提出すると,日本最初の政党である国会期成同盟を結成した。
- 明治十四年の政変の後,太政官制が廃止され,内閣総理大臣と国務大臣により構成される内閣制度が導入され,初代の内閣総理大臣には伊藤博文が就任した。
- 大日本帝国憲法の発布と同時に,満 25 歳以上の男女に選挙権を与える衆議院議員選挙法が公布され,選挙が行われると,板垣退助が立憲改進党を結成した。
- 反戦論を唱える平塚らいてうは,「君死にたまふこと勿れ」という反戦詩を発表して支持を受け, 初の女性議員に選出されると,新婦人協会を組織した。
- 西園寺公望を中心とする勢力が海軍拡張の優先と憲政擁護を掲げた第一次護憲運動を展開すると,大正政変が起こり犬養毅首相が殺害された。

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正答 2
- 誤り。福沢諭吉は自由民権運動の中心人物ではない。民撰議院設立の建白書を提出したのは板垣退助・後藤象二郎など。国会期成同盟は民権運動団体であり、日本最初の政党ではない。
- 正しい。
- 誤り。大日本帝国憲法発布と同時の選挙権で満25歳以上の男子のみ。 直接国税15円以上の制限あり。立憲改進党を結成したのは大隈重信。
- 誤り。「君死にたまふこと勿れ」を書いたのは与謝野晶子。平塚らいてうは新婦人協会を結成したが、女性議員にはなっていない。日本最初の女性国会議員は1946年。
- 誤り。第一次護憲運動は桂太郎内閣打倒を目的。中心人物は尾崎行雄・犬養毅など。五・一五事件で犬養毅首相が暗殺されたのは 1932年。