スポンサーリンク

2021 国家公務員経験者(事務・係長級)No.30

 我が国の戦後経済史に関する記述として最も妥当なのはどれか。

  1. 第二次世界大戦によって,我が国は甚大な人的・物的被害を受けた。敗戦後,連合国軍総司令部(GHQ)の指令で経済民主化が行われ,財閥解体,労働の民主化,寄生地主への土地集中などが行われた。また,荒廃した日本経済を立て直すため,限られた資金や資材を軽工業に重点的に配分する傾斜生産方式を採用するとともに,シャウプ勧告に基づいて厳しい財政引締め政策が採られた。
  2. 1960 年代初めから1970 年代後半にかけて,我が国は長期の高度経済成長を遂げ,この間の好景気は,神武景気,岩戸景気,オリンピック景気,いざなぎ景気と呼ばれた。1960 年代末には,我が国の国民総生産(GNP)は,米国,西ドイツに次いで資本主義国で第3 位となった。一方で,都市と農村の過密化や地価の上昇,物価の下落,公害などが起こり,高度経済成長による歪みも生じた。
  3. 固定相場制から変動相場制へ移行した年に起きた第一次石油危機では,狂乱物価と呼ばれた激しいインフレーションが起こり,厳しい総需要抑制政策が採られた。これにより物価は鎮静化したものの,景気が落ち込んで失業率が上昇した。第一次石油危機後の不況による税収不足を補うため,1970 年代半ばに特例公債(赤字国債)が発行されると,第二次石油危機後も特例公債は恒常的に発行されるようになり,公債残高は増大していった。
  4. 1980 年代半ば,米国の貿易黒字を食い止めるため,各国が協調してドル安是正を図るプラザ合意が結ばれた。その結果,想定以上に円安が進み,日本製品の輸出競争力が落ちて円安不況になった。その対策として,日本企業の多くがアジアを始めとする海外に工場を移転したため,製造業労働者を中心に雇用問題が深刻化し,産業の空洞化が進んだ。また,円安是正のための超低金利政策が採られた結果,1980 年代後半には,バブル景気が起こった。
  5. 1990 年以降,政府の地価抑制政策や金融引締めを契機に,地価は維持されたものの株価が大きく下落してバブル経済は崩壊した。大手都市銀行とは異なり,地方銀行は多額の不良債権を抱え,貸し渋りを行ったことで中小企業の倒産が相次ぎ,預金保険機構によるBIS 規制が強化された。1990 年代の不況は「失われた10 年」とも言われ,株価の下落幅は1990 年代半ばに戦後最悪を記録した。

正答 3

  1. 誤り。寄生地主への土地集中ではなく、農地改革により、土地の集中が排除された。また、傾斜生産方式では、鉄鋼、石炭へ資源を集中した。財政引締め政策は、ドッジラインである。
  2. 誤り。神武景気は50年代、岩戸景気は50年代から60年初頭にかけてである。また、60年代後半には日本は西ドイツを抜き、世界第2位のGNPとなった。
  3. 正しい。
  4. 誤り。プラザ合意は、「ドル高是正」の合意である。その結果、円高となり、円高不況がもたらされた。低金利政策が取られてバブルにつながったのはその通りであるが、当時は円高であったので「円安是正」のためではない。
  5. 誤り。地価も株価も大きく下落した。不良債権を抱えたのは大手都市銀行も同じである。預金保険機構はペイオフの凍結を実施した。BIS規制は国際決済銀行に対する自己資本比率などに対する規制である。
スポンサーリンク
島本昌和をフォローする
スポンサーリンク
公務員試験過去問研究
タイトルとURLをコピーしました