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2022 国家一般職 国際関係 No.53

冷戦後の国際社会に関する次の記述のうち,妥当なのはどれか。

  1. 1990 年代初頭,イラクによるクウェートへの軍事侵攻に対し,米国は,国際連合安全保障理事会の決議のないまま英国など一部の国と多国籍軍を組織してイラクを攻撃し(湾岸戦争),同戦争に敗れたイラクは米国の制裁下に置かれることとなった。当時,米国が他国との交渉や多国間での枠組みを嫌って単独行動をとった傾向は,単独行動主義(ユニラテラリズム)として米国内外から批判が強まった。
  2. 2001 年,米国ニューヨーク州のエンパイア・ステート・ビルやワシントンD.C.の国務省などが同時に攻撃される同時多発テロが発生した。米国のG.W.ブッシュ政権は,このテロをイスラム過激派組織ISIL(イラク・レバントのイスラム国)が実行したと断定し,「テロとの戦い」を掲げ,当該組織を支援するタリバン政権が支配するアフガニスタンへの攻撃を行った。
  3. 東南アジアでは,ベトナム戦争終結やカンボジア和平以降,地域内における各国の協力関係が深められ,2000 年代に東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国は5 か国から10 か国へ増加した。一方,安全保障面においては,ASEAN 地域フォーラム(ARF)が2014 年に初めて開催されたが,参加したのはASEAN 加盟国の閣僚のみであり,政治的に不安定な国もあることから,閣僚級の会合はその後開催されていない。
  4. ヨーロッパにおいては,1993 年に発効したロンドン条約を批准した全ての欧州連合(EU)加盟国が同条約の発効直後から単一通貨(ユーロ)を導入し,その後1990 年代末までにEU に加盟した東欧諸国など10 か国も加盟と同時にユーロを導入した。一方,一部の東欧諸国や旧ソ連圏では,冷戦終了後に中央政府の権力が弱まったことなどから,コソボ紛争やダルフール紛争などの民族紛争が発生した。
  5. 2010 年代初頭に北アフリカのチュニジアで発生した反政府デモを発端として,中東・北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動は「アラブの春」と称され,チュニジア,エジプト,リビアでは長期間続いた独裁政権が崩壊した。こうした民主化運動の背景にはソーシャルネットワーキングサービス(SNS)の普及による市民の間での情報共有があったといわれる。
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正答 5

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公務員試験過去問研究
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