国家と権力に関する次の記述のうち,妥当なのはどれか。
- M.ヴェーバーは,『職業としての政治』において,国家を,「ある一定の領域の内部で,最も強力な物理的強制力を持つ共同体」と定義した。したがって,国家運営に携わる政治家は,権力行使がもたらす結果に責任を持とうとするのではなく,あらかじめ権力行使の抑制に努力すべきだと彼は論じた。
- T.ホッブズは,『君主論』において,人間の自己中心性を強調し,「自然状態」においては「万人の万人に対する闘争」と呼ばれる悲惨な状況が生まれると説いた。ホッブズによれば,この闘争を最終的に勝ち抜いた集団が,支配権を正当化するため,「主権者」を名乗るようになったのが国家の始まりである。
- S.ルークスは,非決定,すなわち潜在的争点の顕在化を阻止するために決定が回避されるという形で権力が行使されるとする議論を「二次元的権力観」と呼び,自身の「三次元的権力観」と区別した。三次元的権力観では,非決定による不利益が当事者に意識されることすらないという形での権力行使に注目する。
- C.W.ミルズは,『統治するのは誰か』において,米国政府における政治的な意思決定が,軍部と一部の大企業経営者によって支配されている実態を明らかにした。ミルズによれば,米国の政治では,大統領を始めとする政治家が政策決定にほとんど影響を及ぼしておらず,民主主義的とはいえない。
- M.フーコーによれば,近代以前における権力は,主として権力作用を受ける側が自分で自分を規律するように仕向ける形で行使されていたが,市民革命を経験した近代国家では,軍隊や刑務所がそうであるように,規律による間接的な管理ではなく,より直接的な暴力による権力行使が正当化されるようになった。
正答 3