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2022 国家総合職 大卒 基礎能力 No.39

  冷戦期の国際社会に関する記述として最も妥当なのはどれか。

  1. 第二次世界大戦後,米国のトルーマン大統領は,共産主義勢力を封じ込めるため,「トルーマン・ドクトリン」を発表し,北アフリカや東南アジア諸国に対する支援を表明した。また,その表明の直後に,米国が欧州諸国の経済的復興及び軍事同盟強化のための「マーシャル・プラン」を発表したことから,東側諸国は経済相互援助会議(COMECON)やワルシャワ条約機構(WTO)を設立して対抗した。
  2. 第二次世界大戦後,ドイツは,米国・ソ連・英国・フランスにより分割占領されていたが,1940 年代後半,ソ連は自らが占領する東ベルリン地区の住民が,米国・英国・フランスにより占領されている西ベルリン地区に逃亡することを防止するため,「ベルリンの壁」を構築した。また,1950 年代半ばには,ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立した。
  3. 朝鮮半島においては,1950 年代初頭に,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が大韓民国(韓国)に軍事侵攻して朝鮮戦争となった。西側諸国は,国連安全保障理事会でソ連の反対により決議を採択できなかったものの,米国軍を主体とする,いわゆる「国連軍」を北朝鮮に出動させ,一方の北朝鮮軍には中国義勇軍が加わり激戦となった。1990 年代,北朝鮮と韓国は,国連への同時加盟のため北緯38 度線付近を国境として講和条約を締結し,朝鮮戦争を終結させた。
  4. 1960 年代前半,米国から支援を受けていたキューバのバティスタ政権の打倒を目指すカストロらの革命派をソ連が支援したことから,米国は海上封鎖を行い,ソ連からの支援物資の搬入を阻止した。米ソ間の緊張が高まったが,ケネディ大統領とブレジネフ書記長との交渉により武力衝突は回避された。これを契機に,米ソ両国は,ホットライン(直通電話回線)を設置し,包括的核実験禁止条約(CTBT)に調印するなど冷戦の緊張緩和の動きもみられた。
  5. 米国は,第二次世界大戦後に独立を宣言したベトナム民主共和国(北ベトナム)に対抗してベトナム共和国(南ベトナム)を支援し,1960 年代には大規模な軍事介入を行い,北ベトナムを支援するソ連や中国との対立を生んだ。1970 年代に入り,米国が和平協定に調印してベトナムから撤退した後,北ベトナムが南ベトナムを制圧して南北統一が実現し,ベトナム社会主義共和国となった。

正答 5

  1. 誤り。ギリシャやトルコに対する支援である。また、マーシャルプランはヨーロッパの経済復興政策。
  2. 誤り。ベルリンの壁の構築は1960年代前半である。またドイツ連邦共和国、ドイツ民主共和孤高の成立は1949年。
  3. 誤り。ソ連の反対により、決議が採択できなかったのではなく、ソ連は当時安保理を欠席していた。朝鮮戦争は1953年に停戦したが、終結したわけではない。韓国と北朝鮮の国連加盟は1991年である。
  4. 誤り。キューバ危機のきっかけとなったのは、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設である。また、ブレジネフ書記長ではなく、フルシチョフ書記長である。また、この翌年に調印されたのは部分的核実験停止条約(PTBT)。
  5. 正しい。
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